冬のひととき

初めて見ただけで、どうしようもなく受け入れられないひともいるもので、そういう人にはまったく触れたくない。ノリを合わせることは出来るけどそこまで気を使う必要もないわけで、無視をするに限る。もしくは早々と退去する。大概、そういう人は女性であって、面白くない。

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とある責任者とハナシをし、退社する意思を伝えた。確かに考えれば現場をよそに転職するのは忍びないが、居たところで無理難題をかけられそうだし、それだけの仕事で給料を貰うわけにもいかんと思う。引きとめは熱烈だけど、いま考えられる遠い先を見るとこのまま営業をしていくことに疲れを感じる。

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夜空がきれいだ。夜空はひとりがいい。

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ほんの些細なことだろうけれど、洗濯したり、食事を作ったり、歩いたり、笑ったり、話しをしたりすることが私には大切で、いまのように無理しないと会社外の人と接することができないような状況は息が詰まる。

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たぶん、大きな会社組織の中に居たほうが安泰なのかもしれないけれど、私はいいや。面倒なことが多いし、以外に面白くないから。

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そういうわけで、ここまでダラダラ書いたので寝ることにしよう。

冬の音楽

去年の冬は大滝詠一でした。
今年の冬も大滝詠一になりそうです。
カラオケに行きました。知床慕情と襟裳岬を歌いました。外国の歌も歌うけれど、しっかりとした歌詞と曲を持った歌に時代は関係ないのです。ああ、いいもんだす。

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仕事?やめてやるー

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明日はひさーーーーーーーしぶりに自分のために時間の使える休日です。ちょー貴重です。ですので、朝は映画。昼はトリエンナーレ。夜は飲むことにしました。合間合間に写真を撮って至福の時を過ごす予定ですので、関係各位は野放しにしておいてください(笑

冬の猫

問題は時間です。時間に追われている毎日ですから、いかにスピーディにこなすことが出来るかが要求されるワケです。時間に追われるということは、損失の問題とイコールなんですね。損失なく要求に応じることができればイイのですな。
どこかにポッカリ時間を落としてしまいたいと思う。それは文明社会と乖離した世界のハナシなのかもしれないけれど、この文明こそが面倒だ。
まだ幼かったころ、今のように日本人の顔はきれいでなかったような気がする。きれいでなかったというと御幣があるかもしれないけれど、いろいろな顔があったような気がする。いろんな顔があるってことは、それだけで何かイイように思う。

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動物園の中にいる彼らだって、鎖に繋がれている奴等だって、僕だって不自由だ。それが文明なんだろうな・・・

秋とは

結局自分の時間なんて今の時間だけで、1時間もありゃしない。
そんな貴重な時間をブログ更新で費やすのも・・・と思い、あまり更新をしていない。
現在、わたしゃ大変なことになっています。ブログに愚痴を書くのも癪だけど、理不尽極まりない世界が営業の世界の常ですから、愚痴愚痴いっても仕方ないのだな。。。
はてさて、退社の意思は伝えた。
考える時間、自分の時間、休む時間が持てるのならいいのだが、それらが無い。自分のやり方が下手というだけなのかもしれないが、自分のやり方を無視できるのなら苦労はない。無視できないからこそ相手の立場で考えられるというスタンスだもんでね。すると結果的に自分を犠牲にしているだけのことだから、ますます時間はなくなってしまうワケさ。
ああ、営業は性分じゃねぇ。
髪の毛を切ったことを「どうして?」と訊かれて「こうです」とは言える筈もない。彼は気づいているだろうけど、理由は言えないし、言っちゃいけないと思う。ただ、ひと段落ついた暁には退社させていただこうと思う。
あー書くこともまとまらん。
最終間近の電車を降りて、いつもの焼き鳥屋に行きました。
終始、まとまりのないハナシ。

我思う秋

いわんや右のまんじゅうか、左のせんべいかで考えている。
いずれにせよ食べることにはことかかない。それだけに、どちらにするべきか哲学まで持ち出して考えている次第。人に問えば、右と応えるひともいるし左もいる。いわゆるどちらも正解なわけで、畢竟、自分で決めるしかないことナノダ。いずれにせよ、ある程度ひとに迷惑をかけてしまうし、詰まるところ自分の生き方を通すしかないのでしょう。よって、もうすこし考えることとして、機をみて決めるべく寝ることにしようと思う。

秋の休日

少し前から気づいていたけれど、うちの屋根を猫が歩く。
顔見知った猫である。バタン、ドスンと棲んでいる私なぞには
お構いなしに飛び歩く。
窓際でくつろいでいたりすると、その下をしたり顔で当の猫が
行き過ぎていく。
舌を鳴らして気を引こうとするものの、チラッと見るだけで屈
託なく行ってしまう。
時折窓下で鳴いている。どうやら私にゴハンをねだっているら
しい。昼夜なく屋根の上を歩かれる私としては迷惑千万な行為
をされているのにも拘らず、「猫や」っとゴハンを与えたくな
る。でも、ここで与えてしまうと癖になってしまうと律し、与
えたことはない。
猫に恩義を求めるのは詰まらない。えてして内田百聞のごとく
猫に御放念いただくにこしたことはない。

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私が小学生のころから家の中には猫がいた。今も実家に帰ると
猫がいる。どうやってウチの猫になったのかは、それぞれの事
情があるのだけれど、猫は家の中で一番に威張っている。
ウチの猫はあまり鳴かない。気を惹こうとしても一瞥だにしな
い。抱きかかえると暴れだし、如何様なこちらの要求も一顧だ
にしない。いつも我関せずに徹していた。
その猫も随分と長生きをしている。
相変わらず気を惹こうとしても一瞥もくれないが、抱きかかえ
ても暴れることもなくなった。嬉しいのやら悲しいのやら。
誰もが歳をとってこの世から去っていく。そうやって全てが続
いてきたことは十分知っていた。けれど、身近に感ずるように
なってその切なさばかりが琴線にひっかかる。
丁度良い時間でとまって欲しいと思う秋の雨。